【5類移行から3年】「あの時は仕方ない」で思考停止?私たちはいつまでマスクを手放せないのか

新型コロナウイルス感染症の感染症法※上の位置付けが5類感染症になりました

コロナ5類移行から3年。街の風景は本当に変わったのか?

新型コロナウイルス感染症が、季節性インフルエンザなどと同じ「5類感染症」へ移行したのが2023年5月8日。

あの日から、早くも3年の月日が流れました。

当時のニュースでは「これでようやく元の日常が戻ってくる」「脱マスク社会の始まりだ」と大々的に報じられていたのを覚えている方も多いでしょう。

しかし、3年が経過した現在、街の風景はどれほど変わったでしょうか?

通勤電車の中、スーパーのレジ待ち、オフィスの会議室……周囲を見渡せば、いまだに多くの人がマスクで顔の半分を覆っています。

もちろん、季節的な花粉症や一時的な体調不良といった正当な理由がある人もいるでしょう。

しかし、真夏のような暑い日であっても、周囲の様子を伺うようにマスクを着け続けている人が多数派を占めているのが現状です。

普通の洋介
普通の洋介

バンコクであったアイルランド人に日本のマスク事情について話すと「日本人はマスクが恋人なのか?」と言われました。

5類移行から3年という大きな節目を迎えたいま、私たちは改めて自分自身に問いかける必要があります。

「私たちは一体、いつまでマスクをし続けるつもりなのだろうか?」と。

「あの時は仕方なかった」という自己正当化と思考停止

時計の針をパンデミックの真っ只中に戻してみましょう。

未知のウイルスに対する恐怖や、医療崩壊を防ぐという大義名分のもと、社会全体が「マスク着用」を絶対的なルールとして共有していました。

外出先でマスクを忘れて冷ややかな視線を浴びたり、店舗への入店を断られたりした経験は、誰にでも一度はあるはずです。

「あの時は仕方なかった」

「みんなのために我慢するべきだった」

しかし、問題なのは「あの時は仕方なかった」という言葉を都合よく使い続け、今の状況に対する【思考停止】に陥っていないかということです。

すでに社会のルールもウイルスの位置づけも変わっているのにも関わらず、マスクを外すタイミングを見失っているのではないでしょうか。

「風化させるなコロナ禍:人権と社会の教訓を振り返る」
コロナ禍の記憶を風化させないためには、当時の出来事やその影響を振り返り、分析することが重要です。 特に日本では、非人道的な感染対策が実施され、人権が蔑ろにされる場面が多々見受けられました。 また、「お願い」という形で実質的な強制力を持たせた施策が法律を超える現象が起きたことも忘れてはなりません。 同調圧力の影響で、多くの人々が疑問や異議を口にできず、日本社会全体が分断される状況が生まれました。 「あの時は仕方なかった」として片付けるのではなく、何が正しく、何が間違っていたのかを徹底的に検証し、未来に生かすべきです。 「次!!!」「切り替え!!!」といった便利な言葉で当時の問題を避けてはいけません。 このような姿勢は、同じ過ちを繰り返す原因となりかねません。 この記事では、コロナ禍に関する深い洞察を得るために役立つ書籍を紹介します。

3年経っても外せない理由。感染対策か、それとも「顔パンツ」化か?

では、なぜ3年という十分な時間が経っても、日本人はマスクを手放せないのでしょうか。

その背景には、本来の目的であった「感染症対策」から大きくかけ離れた心理的要因が潜んでいます。

最大の理由は「同調圧力」と「習慣化」です。

「周りが着けているから、なんとなく外すのが気まずい」「職場で最初に外す一人になりたくない」という日本特有の空気を読む文化が、マスク生活を不必要に延命させています。

さらに深刻なのは、マスクがもはや下着と同じような感覚になる、いわゆる「顔パンツ」化現象です。

素顔を晒すことへの恥ずかしさや、表情を取り繕わなくて済むという一種の「ラクさ」に依存してしまい、物理的な感染対策ではなく、心理的な防具としてマスクを着用している人が急増しているのです。

マスクを買うことを辞めると月額約1,000円程度節約できるのでそのお金でネットフリックスで大ヒット中の『地獄に堕ちるわよ』を視る方が学びが多いですね。

そろそろ「素顔」の日常を取り戻す勇気を持とう

「いつか終わるだろう」と受け身で待っていても、誰もマスクを外す号令はかけてくれません。

すでに政府からの制限もなくなり、5類移行から3年という十分すぎる時間が経過しました。

これ以上、何を待つ必要があるのでしょうか。

「あの時は仕方なかった」と過去を振り返る思考停止はもう終わりにしましょう。

普通の洋介
普通の洋介

本当に怖いのはあの時の理不尽な感染対策や差別がなかったことにされることです。

今日、家を一歩出る時に、思い切ってマスクをポケットにしまってみませんか?

最初は少しの勇気が必要かもしれませんし、顔周りがスースーして落ち着かないかもしれません。

しかし、その小さな一歩が、社会全体に蔓延する同調圧力を打ち破るきっかけになります。

いつまでもマスクで顔を覆い続けるのをやめ、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、笑顔で人と向き合う。

そんな本来の「素顔」の日常を、私たち自身の手で取り戻していきましょう。

まとめ:5類移行から3年。マスクを外す決断は「あなた」から

新型コロナウイルスが5類感染症へ移行してから3年。

今回は、いまだに続く日本のマスク偏重社会について考察しました。

ポイントは以下の通りです。

  • 5類移行から3年経過しても、街の「マスク着用率」は依然として高いまま。
  • 「あの時は仕方なかった」という過去の正当化が、現状の思考停止を招いている。
  • 感染対策ではなく、「同調圧力」や「顔パンツ化」がマスクを手放せない主な原因。
  • 長期的なマスク依存は、コミュニケーションの質低下や子どもへの悪影響という弊害を生む。
  • 待っていても誰も号令はかけてくれない。素顔の日常を取り戻すには個人の勇気が必要。

「あの時は仕方なかった」で済ませる時期は、とうの昔に過ぎ去りました。

周りの目を気にして、意味のないマスクを着け続ける日々はもう終わりにしませんか?

本当の「ポスト・コロナ」の日常を取り戻すのは、国でも他人の目でもなく、あなた自身の小さな決断です。

明日の朝出かけるときは、ぜひ素顔のままドアを開けてみてください。

最後に:過去を振り返らなければ、私たちはまた同じことを繰り返す

今回のパンデミックで私たちが経験した長きにわたる「マスク生活」は、単なる感染対策の枠を超え、日本社会が抱える同調圧力や思考停止の危うさを浮き彫りにしました。

「あの時は仕方なかった」「もう終わったことだから」とただ蓋をして、この異様な数年間を深く振り返ることを怠れば、どうなるでしょうか。

今後、また新たな未知のウイルスや未曾有の危機が訪れたとき、私たちは再び周囲の目だけを気にして、合理性のないルールや過剰な同調圧力に盲目的に従うことになるでしょう。

過去を直視し、「なぜ私たちはあそこまでマスクに固執したのか」「何が過剰で、何が本当に必要だったのか」を一人ひとりが客観的に検証すること。

それこそが、私たちが同じ過ちや思考停止を繰り返さず、次の危機に冷静に立ち向かうための唯一の道なのです。

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2024年10月22日に発売された中川淳一郎さんと倉田真由美さんの共著『非国民と呼ばれても コロナ騒動の正体』は、コロナ禍で私たちが経験した数々の出来事を振り返り、社会全体がどのように変化したのかを冷静かつ鋭い視点で描き出した一冊です。この…

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